極限の中で

 きっかけは入院当日の昼過ぎの地震にあった。

 あー、なんか揺れている。周囲もざわつき始め、地震だ、ってなった。

 その後、病院の看護士さんが使う器具を載せたカーゴが動いているときに聞こえる、超周波数の高い音が自分の神経に触った。黒板に爪を立てたような、そんな音が気になった。
ちょっとの物音に、ピクって反応してしまう。
看護士さんが自分のベッドのカーテンを開いてもいないのに、開いて覗いているような、そんな気配に反応していた。
廊下を歩く人の歩調、音で、お医者さんなのか、看護士なのか、それ以外の医療関係者なのか、お見舞いの人なのかが、わかるようになっていた。

 この時点で、神経過敏になっていると気がつかなかった。


 そして、術後。

 心電図の計測器のケーブル、点滴のチューブ、おしっこの管、酸素マスクなどで、ベッドから動けない状態にあったし、寝返り程度までと言われていた。
実際には、右半身の腰付近の痛みで、寝返りをうつことさえ難しかった。
水分は、前日21時以降から絶飲食だったので、口の中も乾いていた。

 普段から、左半身を下にして寝ると、咳が止まらなくなったり、息苦しさを感じていたけれど、術後の体勢はその左半身を下にするようにしかできなかった。

 そうして聞かされた、手術の結果。

 「石は砕けませんでした。」

 私の心が砕けた瞬間でした。



 その後、まぁ、これは一部夢の中の話かもしれませんが、夢と現実をいったりきたりしながら、こんなことを考えてしまったのです。


 ★全てのことが信じられなくなった。

 お医者さんや、今回の手術入院でいろいろと心配してくれた人や、尽力してくれた方や、自分が求めている信仰さえも信じられなくなってしまった。
そこに向けられた全ての祈りも私は「毒」にしてしまったんです。罪深いことです。


 ★今まで回避してきたことが思い出されて苦しめられた。

 自分が今までの人生の中で回避してきたことが、走馬灯のように流れてきて、苦しみました。
子供の頃から、苦手で避けてきたもの、逃げてきたものが、ひとつひとつ想い出されて、なぜ、そこを一歩踏み出さなかったのか、踏み出していたら楽になってたかもしれない、とか。
「そこを、ちょっと越えて、こっちにくれば楽なのに」「男なら潔く」とか、いう声も聞こえた。

 もう、苦しかった。苦しくって苦しくって、もう、苦しくて。

 身体が動かせないから、なおのこと厳しかった。


 ★いつの間にか「呼吸の仕方」を忘れてしまっていた。

 酸素吸入はしていました。マスクですけど。後は、身体の傾け方による、息苦しさ。精神的に追い詰められてだと思うんだけど。
痛みによる呼吸の難しさもありました。つまり深呼吸が痛くてできない。

 浅くせわしない呼吸に変わっていました。



 そこで、はた、と気がつく。

 「息が出来ない」「呼吸の仕方ってどうやるんだっけ」

 そして、さらになおパニックに陥っていきそうでした。

 すかさずナースコール。

 「息が出来ず苦しい」

 恰幅のいい(包容力のありそうな)看護婦さんがやってきました。
そして、左手の指に末梢の酸素濃度を測る機械をつけて、こう言ったのです。

 「酸素濃度は100%です。酸素はちゃんと身体の隅々に供給されていますよ。」


 ★今回のこの一連のことが、精神的なパニックだと、自覚した。

 「過呼吸かも」

 そして、ちょっとだけ、看護婦さんが寄り添ってくださいました。けど。
役不足と思ったんですよ。つまり、寄り添う程度では回復できない、って。


 で、その状態が随分と長く続きました。

 過呼吸は、袋を口に当ててしばらく呼吸していくうちに落ち着くことは知っていましたが、そのときには、それができる状態にありませんでした。まぁ、看護婦さんにお願いすればよかったかもしれませんでしたけど、なんか、頼みたくなかったんです。


 ★泣く

 そうしているうちに、ある人のことが頭に浮かんだんです。
 最近、大変な手術をした人です。その人も苦しかったんですよね。で、そのときの自分からの言葉がなんだったかを想い出したんです。

 「最近、泣いた?」
 「よく今まで一人で頑張った。えらかったねぇ。」

 ってね、そう言ったことを想い出した。


 自分にも同じことを言い聞かせてみました。

 涙は少ししか出ませんでしたけど、それで、少しだけ楽になることができました。

 乗り越えられる、と思った瞬間でした。 


 ちなみに、前回の退院間際の疎外感によって一時的な鬱状態になった時は、看護士さんに打ち明けるのに、日単位の時間を要しています。今回のこの即時ナースコールは、前回の経験を生かしたものでした。つまり恥ずかしい事ではない、ってことです。

で、前回の鬱はどうやって直したか。

前回の入院時は、その状況をリアルタイム感覚でブログにアップしていましたから、そのコメントで、無線仲間からの大激励がありました。その激励で、泣いて、泣いて、それで、乗り越えたんです。ありがたかったでしたよ。その絶妙なタイミングが、とってもありがたかった。
今回は、それすらできない身体の状態だったということです。



 その後、多くのお医者さんが大変な状況の中で、いろいろとチャレンジしたけど、どうしても石を砕けなかったことを聞きました。その一瞬でしたけど、信じられない気持ちを持ってしまったことに、申し訳なかったと思っています。


 また、後日、精神科医の先生からの診察を受けた際に、この話をかいつまんでしました。
そうしたら、その先生。一言だけ言いました。

 「結局、自分で処置してしまったのね」


 私は、苦しいときに、「泣く」を身に着けてしまいました。

 でも、これがますます外にその兆候を見せないことになってしまうのではないか、って、それも怖いかなっても思うんです。つまり、精神科的な診察や処方なしで、小復活をしていくのが、もし、手遅れになったら、とか、そんなことも考えたりするんですね。

 で、今日も、かなり揺らいでいます。躁の状態にはなりませんが、朝は特に、鬱っぽくなります。しかも、越えられてしまうんでなないか、って、思っています。そこがまた、怖い。
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by ja1toep1 | 2011-08-27 10:16 | 闘病生活3

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