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検証チーム

 足利事件での冤罪に関して、「最高検検事ら数人で構成する検証チームを設置」とあります。

 検証チームという言葉には、私も仕事がら鋭く反応するのでありますが、検証というからには、検証されるべき題材があって、正確な情報を元に、判定されなければいけないのです。

 まちがっても。。。

 「その当時、菅家さんへの取調べが正しくないやり方であったかどうか」を検証するのではなく、
「どのような捜査や取調べが行われたか」

を検証していただきたいものです。

 昨日、石原裕次郎に関して西部警察が民放で放送されました。石原裕次郎さんが亡くなってから22年になるのでしょうか。22年前には当たり前の捜査、取調べの仕方(手法)だったとしたら、もし、それを、「正しくないやり方であったかどうか」で検証したならば、その検証結果は、きっと「正しいやり方」となるに違いありません。

 つまり、取調べで、叩いたり、蹴飛ばしたり、引っ張ったり、という暴力での取調べがあったかどうか、いいや、叩いた、蹴飛ばした、引っ張った、誘導尋問した、というその事実の一つ一つがあったのかどうかを検証していただきたい。で、結果として、それが、正しいのか、そうでないのかが、改めて判断されるべきと思います。

 情報を扱うものとして、どんな状況下にあっても、事実を集めて、その上で判断できるような、そういう手法を身に着けていきたいと思います。




 加えて・・・


 「その当時の最善の方法」って何? って感じですよ。

「集まった情報は、原因ですべての説明がつかなくてはなりません」。

 たとえDNA鑑定がされたにしても、すべての状況証拠は、原因によって裏付けられなければいけません。
「その当時の最善の方法」って、言葉が足りませんよね。「誰にとっての最善」だったか。もしかしたら、現場の刑事にとっての最善の方法だったかもしれませんよね。まぁ、最善の方法というか、都合だったかも知れませんけど。



 でも、こういう事件が多すぎるよねぇ。松本サリン事件を思い出します。報道機関からの情報も間違ったものがあるしね。そういうことを反面教師として、そういうことにならないように努めていきたいと思います。

by ja1toep1 | 2009-06-06 11:37 | 日記 | Comments(0)

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