カテゴリ:災害・ボランティア( 115 )

高田松原って、どんなところだったのか。。。

この写真は、陸前高田市小友町出身者の関東での集い(在関東小友人会)用に、遠く故郷を離れて暮らす多くの小友町出身者のために、今回の震災で犠牲になった同級生が過去に提供してくれたものです。

まず、地図から。
地図のほぼ中心(広田湾の奥)にある、長さ2kmの砂浜です。(クリックするとはっきり見れます)
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海水浴客で賑わう松原(2006年撮影)
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対岸の広田半島から撮った松原
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最後に、冬の松原。(小友町の箱根山山頂付近から撮影)
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 高田松原の思い出は。。。

 今回の津浪で大きな被害があった、近くの高田高校出身ですが、1年生のときに、合宿があるんです。高田松原の脇にある合宿所で、確か2泊3日の合宿だったと思います。

 全校生徒によるマラソン大会があったときは、男は一周4kmのコースを3周するんです。女子は2周。これが結構きついんだな。砂浜で足を取られたり。。。

 そのほか、まぁ、恋の季節には利用もさせていただきましたし。。。

 卒業後は、すぐ近くにあった、自動車学校(今は山の中に移転しています)でキャンセル待ちなどのときには、松原を散策したりして時間を潰したこともありました。

どれもみな懐かしい。
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by ja1toep1 | 2011-05-05 19:03 | 災害・ボランティア

震災前後(追記、修正)

陸前高田市小友町柳沢の 震災前と後。。。

 写真の出どこを明らかにするように修正いたします。

<震災後>
①~⑦は、
 先日三陸沿岸を回られた「マリちゃんワールド」さんです。

⑧は、親戚の方の写真をご提供いただきました。

<震災前>
②⑦⑧は、
 私が、何度となく田舎に帰省した際に、こつこつと周辺を撮影したもの。

①は、今回の津浪で犠牲となった同級生が過去に提供してれた写真です。


 まず場所を。。。(クリックするとはっきり見ることができます)
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矢印で囲まれている部分が下の地図で表されています。
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<注意:写真を見比べる場合にはアングルがちょっと違うので、比較は難しいようです。ごめんなさい。>

①<震災後>
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<震災前>
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②<震災後>
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<震災前>
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この体育館は、私が中学の2年生の時に建てられました。それまでは、隣接していた小友保育所の講堂を兼務していたのです。だからよく、悪い事をすると、保育所に連れて行くぞと脅されて。。。懐かしいです。


③<震災後>
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この鈴木屋さんのお店は床上浸水だったそうです。
このお店の大きな窓ガラスを、やはり中学生の時に、知らずにぶつかって割ってしまったことを思い出しました。


④<震災後>
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⑤<震災後>
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小友保育所です。中学校の体育館が建つときに、⑧のササキ電気さんのあたりに移動し、後に最近になって、この場所に来ました。この場所に来ていなかったら、真っ先にやられていたことでしょう。
今は、ここが仮の診療所になっているとのことです。


⑥<震災後>
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中学校を反対側から見た、なかなかの構図です。中学校の体育館の床部分がそっくり持っていかれているのがわかります。無惨です。


⑦<震災後>
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<震災前>
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ここが一番分かりやすいと思います。震災前の写真では道がまっすぐになっておりますが、震災で曲がったわけではありません。でも、景色が一変しています。


⑧<震災後>
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<震災前>
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by ja1toep1 | 2011-05-02 20:55 | 災害・ボランティア

母が降臨?

10人目からの便り

 昨日の大船渡市に住む知人の話につづき、さきほど、田舎からの電話がありました。

 私の実家からの電話でしたが、私の両親はすでに他界し、誰もいないところからの電話でした。


 今回の震災で、家を流されてしまい命からがら逃げたご夫婦がおります。
そのご主人は、私の親戚にあたる方で、私の実家が新築されるときに、古い建物の廃材を使って、新築の間私たち家族が住むための家を、作ってくれた人でもあります。

 母が体が動かなくなったときも、家の周囲や畑の世話などをしていただいたり、私ら子供が手の回らないところとか、いろいろと面倒を見てくださった方でした。

 母が逝ってから震災までの数月、無人であった家ですが、また、地元の人々の避難所として復活しました。

 そして、今日。

 電話が復旧したということで、私に電話を入れてくださいました。



 私の携帯電話には、まだ母親の名前で登録が残ったままで、今日の電話は、まさに、母が降臨したかのような、そんな電話でした。

 また、実家に電話ができて、それを受けてくれる人ができました。


 すばらしい。

 それそのものが、復興につながると思うと。うれしいです。
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by ja1toep1 | 2011-05-01 20:42 | 災害・ボランティア

10人目からの便り

帰宅後の日課
被災地からの声

 地震後すぐに送った「大丈夫?」メールへの最後の方からのメール連絡が、さきほど届きました。

 実に、50日ぶり。

 岩手県大船渡市大船渡町永沢に、電話が通じインターネットが可能になったという連絡でした。

 また、ライフラインの情報や、親戚の安否も。。。

 電気は地震後4日めほどで付いたけど、水がなかなか出なくって、高齢者なものだから、水を得るのに大変だったと聞きました。
また、親戚の方が、その後どうなったか、また行方不明者がどうだとか。。。

 さらに、子供は大丈夫だけど、そのご両親が見つかっていないなど、数々の悲惨な情報が入ってきました。

 この10人目の方の自宅は、とても高台にあること、周囲からの情報で、生存は確認されておりましたが、やはり声を聞くと安心します。

 コタツに入れて温まる事ができることだけでも、今は幸せだと言っていたことが、とても印象に残りました。



 それにしても、出したメールの全員生存。

 ありがたかったです。
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by ja1toep1 | 2011-04-30 16:53 | 災害・ボランティア

NEWS<2000年前、M9級地震で巨大津波か>

gooニュースから。。。

全文。
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 高知大学の岡村真教授(地震地質学)らが、高知県土佐市の2000年前の地層から、厚さ50センチに及ぶ津波堆積物を見つけた。

 高さ10メートル超となった東日本大震災の津波でも、堆積物の厚さは5~7センチ程度。専門家はマグニチュード9級の超巨大地震による津波である可能性をあげ、その再来もあり得ると指摘している。

 駿河湾―四国沖では、海のプレート(岩板)が陸のプレートの下に沈み込む境界(南海トラフ)で、東日本大震災のような巨大地震が300~350年周期で起き、大きな津波も発生している。

 今回、50センチの堆積物(砂の層)が見つかったのは、現在の海岸から約400メートル内陸にある蟹ヶ池。岡村教授らが約30か所で池の底を調べた結果、東日本大震災以前では、最大級とされる宝永地震(1707年)の津波堆積物も見つかった。厚さは15センチ程度だったが、この時、蟹ヶ池近くの寺を襲った津波は高さ25メートルだったことが分かっている。
===

 まぁ、そんなこともあるでしょう。

 でも、そういうことも大事かもしれないけれど、では、それのために、今何をすべきか、何ができるかも考えてくださいよ。

 原発は、止めて欲しいですよ。使い終わった燃料も震災があっても安全なように処理してほしいですよ。
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by ja1toep1 | 2011-04-25 22:47 | 災害・ボランティア

NEWS<東日本大震災 津波、史上最大…「明治三陸」超える>

「三陸大津波」を越える史上最大の津浪。

Yahooニュースの冒頭を抜粋。
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 東日本大震災で発生した大津波が、国内で過去最大の津波とされてきた明治三陸地震(1896年)による津波を超える規模だったことが、東京大地震研究所の現地調査で明らかになった。岩手県野田村から同県宮古市にわたる約40キロの海岸線の多くで、津波の到達した高さが20メートル以上に及び、5カ所で30メートルを超えた。明治三陸津波で遡上(そじょう)高が30メートルを超えたのは東北全体で2カ所だったことから同研究所は「明治三陸津波を超える津波だったと言える」と分析する。
===


 だから、「想定外」とは言わんでほしい。

 すでに30m越えている津浪があった、ということなんだから。最初から、それを想定内にできたはずなんだから。
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by ja1toep1 | 2011-04-25 22:39 | 災害・ボランティア

現時点での犠牲者数 ~陸前高田市、大船渡市~

 陸前高田市と大船渡市の犠牲者の名簿を毎日、アサヒ.comから抜き出して、年齢でソートしたものを作成して、3週間ほどになります。両市に縁(ゆかり)のある方のうち一部の方に日々、メールで送信させていただいています。

 これは、元々は、自分のためで、自分の知人(主に同級生)を探すためにやったことでした。

 4/23現在。。。の犠牲者で身元が分かっている方は以下になります。
(クリックするとはっきり見れます)

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 陸前高田市高田町の犠牲者が非常に多いことがわかります。


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 このうち、犠牲者が多い町、市の年齢層でみると、高齢者の方が多いのです。


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 逆に、犠牲者が少ない町では、低年齢者層もおります。
高齢者も多いように見えますが、目盛りが一桁違いますので。。。

 今回の津波の速度や高さ、情報の伝達や内容の問題もありますけど、やはり、弱い方々が簡単に早く逃げられる場所があったら。。。と思います。

 現時点で、私の友人、先輩、親戚などで、お名前が出ている人は、約十数人です。でも、まだまだ、見つかっていない方々は、倍以上おります。

早く見つかって欲しいし、犠牲になった方々のご冥福を重ね重ねお祈りします。
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by ja1toep1 | 2011-04-24 01:06 | 災害・ボランティア

NEWS<新宿センタービル、13分揺れた 国の耐震基準強化へ>

 gooニュースから。

 冒頭抜粋。
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 東日本大震災で震度5弱だった東京・新宿の超高層ビル(54階建て、高さ223メートル)が「長周期地震動」を受け、国の耐震基準の約13倍の約13分間にわたって揺らされ続けたことが大手ゼネコンの調査でわかった。最上階では1メートルを超える横揺れが続いた。

 60メートル以上の超高層ビルは国の耐震基準に基づき、震度にかかわらず1分以上の揺れを想定した強度を義務づけられている。近年、ビルを揺らす長周期地震動の研究が進むなどしたため、国土交通省は今年度前半から、東京・大阪・名古屋の3大都市圏の新しいビルには約8分間の揺れを想定するよう基準を強める予定だった。
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 なお、耐震、免震、制震 について、ウィキペディアから。。。

・耐震は地震力を受けても壊れない(耐える)ことを指す。
・免震は地震力をなるべく受けない(免れる)ことを指す。
・制震は構造体内部に震動を吸収する装置を組み込むことで構造物の破壊を防止する。



 で、大崎にある会社は、22階建てのオフィスビルで、地震発生当時は、20分間揺れ続けました。
このビルは、耐震構造になっていると聞いています。揺れるけど壊れない、ということでしょう。

 私は真ん中の11階におりましたが、バランスの悪いもの(書類など)はどんどん落ちていきました。

 どっかのツインビルは、お互いが揺れて、目の前にまで近づいたと聞きました。接触しなくてよかったんですね。
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by ja1toep1 | 2011-04-19 21:15 | 災害・ボランティア

NEWS<西湖で“津波”水面1メートル隆起 山梨・富士河口湖町>

 Yahooニュース。

 冒頭部分のみ抜粋。
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 東日本大震災が発生した3月11日、震源地から約450キロ離れた山梨県富士河口湖町の西湖(さいこ)で、湖面がうねり、波高が1メートルに達する津波に似た珍しい「共振現象」が起きていたことが18日、分かった。同町では震度5弱を観測している。
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 会社は目黒川のほとりに建っておりますが、地震時に、川幅間で波が大きく揺れておりました。
これは、両岸が揺れたことによる波ですが、同じような現象でしょうか。
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by ja1toep1 | 2011-04-19 20:52 | 災害・ボランティア

NEWS<首都直下地震起きたら帰宅難民650万人、避難所生活460万人>

eXciteニュースから。

全文です。
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国の防災基本計画を作成する「中央防災会議」の「首都直下地震対策専門調査会」が2005年7月に公表した、首都直下地震が起きた場合の被害想定によると――

●避難者
地震発生初日に700万人。うち避難所生活者は460万人で、1か月後も270万人が避難所で暮らす。

●帰宅困難者
東京都内で390万人、1都3県(東京、神奈川、千葉、埼玉)では約650万人。

ちなみに3月11日、東日本大震災当日の夜に都内で発生した帰宅困難者は約10万人とみられる。実にその39倍の人々が都内に取り残されることになる。首都直下地震避難対策専門調査会委員で危機管理アドバイザーの国崎信江さんが「(中央防災会議の想定した)数字はむしろ甘いという見解もある」と前置きしたうえで、続けた。

「都内の帰宅困難者は100万人単位になるのではないでしょうか。都内全域が東京マラソンのようなイメージになる。直下型地震直後となれば、超高層ビルからいろいろなものが落ちてきて目の前でバタバタと人が倒れる、火災が起きても逃げるに逃げられないということになりかねません。学校や事業所は、生徒や社員をその場にとどめ帰宅させないようにすべきです」
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 今回の大震災で、実際に歩いた人が、うちの会社でも多くおりました。

 私は、歩きませんでしたけどね。
部署内では、最後まで会社に残りました。歩かず、翌日の昼過ぎに、通常ルートで電車に乗って、普段よりちょっと遅めに帰宅しました。
帰宅困難者訓練で、22km歩いた経験を持ちますが、寒いし、夜だったし、結石の痛みもあったので、無理はしませんでした。

 今回歩いた人は、きっと、近場で地震が起きたら、また歩くと思うんですよ。
でも、街の中の状況は全く異なっていると思いますよ。

 まぁ、日中だったとしても、足場が悪い。いつ、上から何が落ちてくるか分からない。火事や煙も迫ってきているかもしれない。津波だって、少なからずあるかもしれない。
歩く速度は、通常の1/3よりも遅くなる可能性があります。
とても体力的にもたないと思えます。

 では、会社に残るのか。。。。

 これも難しいかな。

 火災の状況、食料の状況、建物の状況で、そこにいない方がいい場合も考えられます。

今回は、単に電車が止まっただけ、でしたけど、次は、どうなるかわかりません。

備えは必要ですが、今回のように簡単にはいかないことは確かと思います。
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by ja1toep1 | 2011-04-18 20:39 | 災害・ボランティア