復興を考えてみた
2011年 03月 28日
陸前高田について想う。
①住宅を高台に建てる
過去の歴史の中で、津波災害の後で、当然のようにこういうことは行われました。
でも、結果として、どうでした? 多くの住宅が低い土地に戻っていました。
それは、高台は不便、低いところが便利。何年に1回しか起きない災害のために。。。
ということなのだろう。
だから、また高台に移しても、遠い将来的には、同じことが繰り返されると思われる。
②高い防波堤を築く
陸前高田市にあった堤防は、チリ地震津波以降に建設と思われます。だから、低いのかと。
でも、100年ほどの長い周期で発生する三陸大津波は、20m以上の津波になるのは、歴史を紐解けば明らか。では、30mの防波堤を万里の長城のように張り巡らせるのか。
防波堤と言えども建造物。地震でひび割れたり、ちょっとでも手抜きがあれば、そこから崩れ去り、1箇所でも崩れれば、意味を成さなくなってしまう。
③津波に対抗するでなく「かわす」のは
昔、川の氾濫を止めるのに、治水工事をして、川の流れ道を整備しました。津波も、堤防を築いて、ある意味流れを制御したかったんだと思いますが、それは、難しかった、ということでしょうか。
では、逆の発想で、津波を受け入れてしまったらどうなんでしょうか。
語弊があるかもしれませんが、つまり、津波を避ける意味での「かわす」をしたらどうでしょう。
実際にはどうやるのかは分かりませんけど。
その膨大なエネルギーを別なものに変える、というところまでは考えていませんけどね。それは、将来的に学者さんたちに研究していただければ。
④低地に家があっても避難できる
どうせ、低地に建ててしまうのなら。。。
低地でも津波がきたら避難できるような避難経路が確保されていればいいんではないか。
理想は、100m以内。寝たきりは難しいとしても、お年寄りなら短時間で移動できるような避難所の確保。
津波にも強く(今回だって、崩れなかった建物はある。低かったけど)、一時的にしのげる場所。
たとえが悪いかもしれませんが、アメリカのオクラホマなどの竜巻多発地帯では、地下室を持っているでしょう。例えばそういうものです。津波に地下室はダメですけどね。例えばの話です。
⑤例えば、こんなの
ちょっと現実的ではないかも知れませんが。。。
頑丈なビルを建てる。
住居は5階(30m)以上。
4階までは、なんらかの施設。娯楽施設でもいいし、つまりは壊れても生活に支障がない施設。
多くの人を収容できる集会所がある。
上階には備蓄もできる。
最上階には衛星電話または無線設備を持つ。当然発電機もある。
電力は、できれば、太陽熱とか風力とかが使えるようになっている。
ヘリポートもあってもいいかも。
津波に対しては、抵抗が少なくなるように建てる。
⑥農作物について
約50年前にチリ地震津波によって、私の田舎の田畑は津波に洗われた。でも、何年か経って、いままでは田んぼで稲も育てていた、ということは、そんなに時間がかからずに、潮だらけの土地は復活できるということなのかもしれない。もちろん、いろんな努力や研究はあったでしょう。
例えば、潮に強い農作物から作り始めるとか。
⑦漁業について
これは、わかりません。どなたか考えてください。
津波に強い、漁業を。養殖とか。港湾としてでもいいかもしれません。
津波の被害にあっているからこそ、できる何かがあるのではないかと思います。
⑧交通について
道はわからないけど、鉄道は、今までとは違うルートにしてもいいのでは。電化もいいだろうし。
⑨すばらしい景色は
また作ればいい。
松原には、松を植えれば再生できるかも。太古の昔から、高田松原に松が一列に植わっていたわけではないでしょう。
ここまでは、今回の災害後に考えていたもの。
ここからは、故郷を今まで考え続けてきたことから。。。
⑪東京と同じ収入を得よう
インターネットなどのインフラが整備されている。それを使って、東京の仕事を、いや世界の仕事を田舎でできるようにする。もちろん、収入は東京並み、生活のために東京に行く必要を減らす。
⑫田舎の特技を考える
昔は、気仙大工と言って、いい宮大工がたくさんいたらしい。私の祖父も、そうだった。国会議事堂の修繕に関わったらしい。そういう技術、他にももっとあるだろう、あっただろう、技術を見直し伝承する。
良い食料品を作っていて、今回被災したところも多い。でも、ノウハウは頭の中に、手が覚えているはず。施設などがあれば、再建は可能なのではなかろうか。
⑬特技がなくても
これから何かに取り組んでもいいかも。
例えば、自給自足とまではいかなくても、自己完結型の街にするとか。
石油やガスは難しくても、電気の一部は自分たちで作る。野菜は、自分たちのところで作る。魚介類も獲れる。その他の製品の中で、自分たちの街で使うだけなら、作れてしまうとか、いうものは無いだろうか。
こういう自己完結型の街が、あちらこちらにできれば、わざわざ都会に出る必要もなくなったりしないだろうか。
まぁ、もうちょっと先の話だと思います。
今東京でも動き始めています。
でもね、そこに住んでいる人が第一だと思います。ここははずさないで考えていきたいですよね。
そして、ぜひ、陸前高田が全国で、いや、世界に知られる「住み良い街」になったらいいな、ってね、思います。
誰もが住みたくなるような街に。
①住宅を高台に建てる
過去の歴史の中で、津波災害の後で、当然のようにこういうことは行われました。
でも、結果として、どうでした? 多くの住宅が低い土地に戻っていました。
それは、高台は不便、低いところが便利。何年に1回しか起きない災害のために。。。
ということなのだろう。
だから、また高台に移しても、遠い将来的には、同じことが繰り返されると思われる。
②高い防波堤を築く
陸前高田市にあった堤防は、チリ地震津波以降に建設と思われます。だから、低いのかと。
でも、100年ほどの長い周期で発生する三陸大津波は、20m以上の津波になるのは、歴史を紐解けば明らか。では、30mの防波堤を万里の長城のように張り巡らせるのか。
防波堤と言えども建造物。地震でひび割れたり、ちょっとでも手抜きがあれば、そこから崩れ去り、1箇所でも崩れれば、意味を成さなくなってしまう。
③津波に対抗するでなく「かわす」のは
昔、川の氾濫を止めるのに、治水工事をして、川の流れ道を整備しました。津波も、堤防を築いて、ある意味流れを制御したかったんだと思いますが、それは、難しかった、ということでしょうか。
では、逆の発想で、津波を受け入れてしまったらどうなんでしょうか。
語弊があるかもしれませんが、つまり、津波を避ける意味での「かわす」をしたらどうでしょう。
実際にはどうやるのかは分かりませんけど。
その膨大なエネルギーを別なものに変える、というところまでは考えていませんけどね。それは、将来的に学者さんたちに研究していただければ。
④低地に家があっても避難できる
どうせ、低地に建ててしまうのなら。。。
低地でも津波がきたら避難できるような避難経路が確保されていればいいんではないか。
理想は、100m以内。寝たきりは難しいとしても、お年寄りなら短時間で移動できるような避難所の確保。
津波にも強く(今回だって、崩れなかった建物はある。低かったけど)、一時的にしのげる場所。
たとえが悪いかもしれませんが、アメリカのオクラホマなどの竜巻多発地帯では、地下室を持っているでしょう。例えばそういうものです。津波に地下室はダメですけどね。例えばの話です。
⑤例えば、こんなの
ちょっと現実的ではないかも知れませんが。。。
頑丈なビルを建てる。
住居は5階(30m)以上。
4階までは、なんらかの施設。娯楽施設でもいいし、つまりは壊れても生活に支障がない施設。
多くの人を収容できる集会所がある。
上階には備蓄もできる。
最上階には衛星電話または無線設備を持つ。当然発電機もある。
電力は、できれば、太陽熱とか風力とかが使えるようになっている。
ヘリポートもあってもいいかも。
津波に対しては、抵抗が少なくなるように建てる。
⑥農作物について
約50年前にチリ地震津波によって、私の田舎の田畑は津波に洗われた。でも、何年か経って、いままでは田んぼで稲も育てていた、ということは、そんなに時間がかからずに、潮だらけの土地は復活できるということなのかもしれない。もちろん、いろんな努力や研究はあったでしょう。
例えば、潮に強い農作物から作り始めるとか。
⑦漁業について
これは、わかりません。どなたか考えてください。
津波に強い、漁業を。養殖とか。港湾としてでもいいかもしれません。
津波の被害にあっているからこそ、できる何かがあるのではないかと思います。
⑧交通について
道はわからないけど、鉄道は、今までとは違うルートにしてもいいのでは。電化もいいだろうし。
⑨すばらしい景色は
また作ればいい。
松原には、松を植えれば再生できるかも。太古の昔から、高田松原に松が一列に植わっていたわけではないでしょう。
ここまでは、今回の災害後に考えていたもの。
ここからは、故郷を今まで考え続けてきたことから。。。
⑪東京と同じ収入を得よう
インターネットなどのインフラが整備されている。それを使って、東京の仕事を、いや世界の仕事を田舎でできるようにする。もちろん、収入は東京並み、生活のために東京に行く必要を減らす。
⑫田舎の特技を考える
昔は、気仙大工と言って、いい宮大工がたくさんいたらしい。私の祖父も、そうだった。国会議事堂の修繕に関わったらしい。そういう技術、他にももっとあるだろう、あっただろう、技術を見直し伝承する。
良い食料品を作っていて、今回被災したところも多い。でも、ノウハウは頭の中に、手が覚えているはず。施設などがあれば、再建は可能なのではなかろうか。
⑬特技がなくても
これから何かに取り組んでもいいかも。
例えば、自給自足とまではいかなくても、自己完結型の街にするとか。
石油やガスは難しくても、電気の一部は自分たちで作る。野菜は、自分たちのところで作る。魚介類も獲れる。その他の製品の中で、自分たちの街で使うだけなら、作れてしまうとか、いうものは無いだろうか。
こういう自己完結型の街が、あちらこちらにできれば、わざわざ都会に出る必要もなくなったりしないだろうか。
まぁ、もうちょっと先の話だと思います。
今東京でも動き始めています。
でもね、そこに住んでいる人が第一だと思います。ここははずさないで考えていきたいですよね。
そして、ぜひ、陸前高田が全国で、いや、世界に知られる「住み良い街」になったらいいな、ってね、思います。
誰もが住みたくなるような街に。
by ja1toep1 | 2011-03-28 22:09 | 災害・ボランティア | Comments(2)
Commented
at 2011-03-30 01:33
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
ja1toep1 at 2011-03-30 19:27
鍵さん こんにちは
パンク補修剤と予備のガソリンは沢山持って行ってください。
決して無理はしないこと。
地震も津波もまだ終わっていないことを忘れないように。過信しないことです。
パンク補修剤と予備のガソリンは沢山持って行ってください。
決して無理はしないこと。
地震も津波もまだ終わっていないことを忘れないように。過信しないことです。
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