想定外 なのか

 1896年の明治三陸大津波・・・。揺れは小さく津波の被害が大きかった。

 以下、ウィキペディアより。
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波高は、北海道の襟裳岬では4m、青森県三戸郡八戸町近辺(現・八戸市)で3m、宮城県牡鹿郡女川村(現・女川町)で3.1mであったが、岩手県の三陸海岸では下閉伊郡田老村(現・宮古市)で14.6m、同郡船越村(現・山田町)で10.5m、同郡重茂村(現・宮古市)で18.9m、上閉伊郡釜石町(現・釜石市)で8.2m、気仙郡吉浜村(現・大船渡市)で22.4m、同郡綾里村(同)で21.9mと軒並み10mを超える高さを記録している。 

特に綾里湾の奥では入り組んだ谷状の部分を遡上して、日本の本州で観測された津波では最も高い波高38.2mを記録した
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 また、昭和三陸大津波・・・。揺れもかなりだったが、津波の被害が大きかった。

 以下、ウィキペディアより。
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三陸海岸は軒並み震度5の強い揺れを記録したが、明治三陸地震の時と同じく地震による被害は少なかった。地震後に襲来した津波による被害が甚大であった。最大波高は岩手県気仙郡三陸町(現・大船渡市)綾里で 28.7 m を記録した。

この地震による被害は、死者1522名、行方不明者1542名、負傷者1万2053名、家屋全壊7009戸、流出4885戸、浸水4147戸、焼失294戸に及んだ。

特に被害が激しかったのは、岩手県の下閉伊郡田老村(現・宮古市)で、人口の42%に当たる763人が亡くなり(当時の村内の人口は1798人)、家屋も98%に当たる358戸が全壊した。津波が襲来した後の田老村は、家がほとんどない更地同然の姿となっていた。
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 田老町は、これを機に、大堤防を作るのです。

 陸前高田市にある堤防は、確か、チリ地震津波の後に作られたんですよ。私が生まれる、ちょっとだけ前の話ですけどね。

で、そのときの津波でここまで来なかったからと、逃げ遅れた方がいらっしゃると聞きました。
もっとも、三陸大津波を知っているとすると、昭和初期に生まれていないと覚えていないでしょうから。難しいかもしれませんが。今回の津波の高さはまだ分かっていませんが、似ていると思います。三陸大津波に。



まだまだ、安否が分かっていない親類知人が多数おります。

どうぞ、無事でおりますように。どこかで生きていてください。お願いします。
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by ja1toep1 | 2011-03-21 22:16 | 災害・ボランティア

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