その連絡は、16日の朝に届いた
2011年 03月 20日
その連絡は、16日朝届いた。(3/16 10時)
内容からして切迫しているのはよくわかる。前日からも盛んにTwitterで繰り返し救難依頼の呼びかけが発信されていたから。
私の手元には書き取った現地に接続できる唯一の電話番号がある。
これ、どうしようか。
東京の人たちにただ連絡しても、回線の細い現地に繰り返し無駄な連絡をして終わりになるんではないか。私たちは、そこに誰が避難しているかを知りたいけれど、避難している人が欲しいのは、もはや情報ではなく、食料なのだ。
そう思ったときに、心は決まった。
確実に現地に届く方法だけを考えよう。避難している彼らのことだけを考えよう。
現地には40人~140人ほどの人が避難しているらしいことは知っていた。その一人一人のことを考えると、メールを打つ手が震えた。
こんなことをしてもいいのだろうか。どこも同じなのではないか。でも、彼らには命の危機が迫っている。時間がないのだ。何度も何度もためらったり、思いなおしたりの繰り返しだった。
今まで関係した災害のプロに、誰に連絡を取るのが確実なのかを訪ねる事にした。
自分が所属する災害系ボランティア、かつて所属していた災害系ボランティア、入ろうとしたけどやめた組織、地域の自治体と一緒に取り組んでいる組織、知り合いの医療関係者などなど。最後には、岩手県知事にまでTwitterで救援依頼をした。(3/16 10時半)
依頼したのが平日だったためか、なかなか返事が返ってこない。待つだけでなく、自分でも取り組んだ。組織上連携していると思っていたので、地元の警察署に電話した。
なか:これこれこういうわけで、被災地からSOSの電話があるんですけど。
警察:あー、うちの管轄ではないので、市役所にかけてみてください。
とんちんかんな答え。ここでは、ダメなのだと思った。
夕方になってやっと、返信が届き始めた。地域の自治体と取り組んでいる組織のある方から、助言があった。とりあえず、その方の地域の消防署に連絡してくれた。
地域消防署:こういう話は、現地の消防署に電話してください。
電話番号は調べてあげますから。
(助言してくれた人を介して)
なか:現地の消防署は津波で流されてありません。北隣の消防署や南隣の消防署もです。
地域消防署:では東京都の消防署へ・・・。
助言してくれた方が、東京都の消防庁に電話をしてくれた。
都消防庁:それは国の管轄なので。。。ガチャン。
だったそうです。
こうやってたらいまわしになったんです。
この時点で、実は一旦はあきらめました。
私の手には負えない。無理。ごめんなさい。
と、そこへ、仙台の医療関係者から他の医療関係者へのメールが飛んだ。(3/16 夜)
まだ、あきらめてはいけない。他のルートでも連絡を流しているんだから、自分があきらめてはいけない。
さらに、現地に派遣されて活動を終えて帰京した方から電話を貰った。
「自衛隊は(そのSOSを)知っている」「自衛隊は必ずたどり着くから、それまで待って」
夜遅く、ニュースで陸前高田への道が通じたと報道された。
もう、自衛隊に任せよう。
結局、大臣に頼んでも、知事に頼んでも、最前線で活躍しているのは自衛隊なのだ。
翌日(3/17)心配をしていても仕方がないので久しぶりに出勤した。昼に、医療関係者の方から電話をいただいた。
「1度自衛隊が訪れたはずなのだけれど・・・。もう1度、入るように言って見ましょう」
やったーぁ。これこそ、私が待ち望んでいたこと。
忙しい中に、対応していただき、感謝感謝でした。
そして、昨日(3/19)、前日(3/18)に自衛隊が避難場所に入り物資が届けられたことの連絡を貰ったのです。
後で知ったのですが、そこの避難所には、私の知人もいたようでした。
間に合ってよかった。あきらめなくて良かった、と、しみじみ思いました。
後に、その避難所には、150人の方が避難していたようでした。標高150m付近で、気温が零下にも達したでしょう、雪も降ったでしょう。よく、頑張ってくれました。よく、届けてくれました。
関係した方々に、改めてここで御礼を申し上げます。
言い尽くせませんが、ありがとうございました。
内容からして切迫しているのはよくわかる。前日からも盛んにTwitterで繰り返し救難依頼の呼びかけが発信されていたから。
私の手元には書き取った現地に接続できる唯一の電話番号がある。
これ、どうしようか。
東京の人たちにただ連絡しても、回線の細い現地に繰り返し無駄な連絡をして終わりになるんではないか。私たちは、そこに誰が避難しているかを知りたいけれど、避難している人が欲しいのは、もはや情報ではなく、食料なのだ。
そう思ったときに、心は決まった。
確実に現地に届く方法だけを考えよう。避難している彼らのことだけを考えよう。
現地には40人~140人ほどの人が避難しているらしいことは知っていた。その一人一人のことを考えると、メールを打つ手が震えた。
こんなことをしてもいいのだろうか。どこも同じなのではないか。でも、彼らには命の危機が迫っている。時間がないのだ。何度も何度もためらったり、思いなおしたりの繰り返しだった。
今まで関係した災害のプロに、誰に連絡を取るのが確実なのかを訪ねる事にした。
自分が所属する災害系ボランティア、かつて所属していた災害系ボランティア、入ろうとしたけどやめた組織、地域の自治体と一緒に取り組んでいる組織、知り合いの医療関係者などなど。最後には、岩手県知事にまでTwitterで救援依頼をした。(3/16 10時半)
依頼したのが平日だったためか、なかなか返事が返ってこない。待つだけでなく、自分でも取り組んだ。組織上連携していると思っていたので、地元の警察署に電話した。
なか:これこれこういうわけで、被災地からSOSの電話があるんですけど。
警察:あー、うちの管轄ではないので、市役所にかけてみてください。
とんちんかんな答え。ここでは、ダメなのだと思った。
夕方になってやっと、返信が届き始めた。地域の自治体と取り組んでいる組織のある方から、助言があった。とりあえず、その方の地域の消防署に連絡してくれた。
地域消防署:こういう話は、現地の消防署に電話してください。
電話番号は調べてあげますから。
(助言してくれた人を介して)
なか:現地の消防署は津波で流されてありません。北隣の消防署や南隣の消防署もです。
地域消防署:では東京都の消防署へ・・・。
助言してくれた方が、東京都の消防庁に電話をしてくれた。
都消防庁:それは国の管轄なので。。。ガチャン。
だったそうです。
こうやってたらいまわしになったんです。
この時点で、実は一旦はあきらめました。
私の手には負えない。無理。ごめんなさい。
と、そこへ、仙台の医療関係者から他の医療関係者へのメールが飛んだ。(3/16 夜)
まだ、あきらめてはいけない。他のルートでも連絡を流しているんだから、自分があきらめてはいけない。
さらに、現地に派遣されて活動を終えて帰京した方から電話を貰った。
「自衛隊は(そのSOSを)知っている」「自衛隊は必ずたどり着くから、それまで待って」
夜遅く、ニュースで陸前高田への道が通じたと報道された。
もう、自衛隊に任せよう。
結局、大臣に頼んでも、知事に頼んでも、最前線で活躍しているのは自衛隊なのだ。
翌日(3/17)心配をしていても仕方がないので久しぶりに出勤した。昼に、医療関係者の方から電話をいただいた。
「1度自衛隊が訪れたはずなのだけれど・・・。もう1度、入るように言って見ましょう」
やったーぁ。これこそ、私が待ち望んでいたこと。
忙しい中に、対応していただき、感謝感謝でした。
そして、昨日(3/19)、前日(3/18)に自衛隊が避難場所に入り物資が届けられたことの連絡を貰ったのです。
後で知ったのですが、そこの避難所には、私の知人もいたようでした。
間に合ってよかった。あきらめなくて良かった、と、しみじみ思いました。
後に、その避難所には、150人の方が避難していたようでした。標高150m付近で、気温が零下にも達したでしょう、雪も降ったでしょう。よく、頑張ってくれました。よく、届けてくれました。
関係した方々に、改めてここで御礼を申し上げます。
言い尽くせませんが、ありがとうございました。
by ja1toep1 | 2011-03-20 19:05 | 災害・ボランティア | Comments(0)