雪が降り積もった朝
2009年 02月 11日
48年前のこの日、なんと言って出てきたかは分からないけれど、病院でもない今の実家でこの世に出てきた。
・その後、苦労するかもしれないものを背負って出てきたのだけれど、それに反発するかのように家族の希望に逆らって、男の子として生まれてきた。
・夜中に、トイレのそばの三畳の板の間をフラフラとトイレに行くでもなく、布団に戻るでもなく、泣きながらうろうろしていた記憶がある。
・あるときは、麻疹にかかった兄の布団のそばで、親の思惑があるとも知らずに遊ばされたが、親の思惑に反するかのように麻疹にも罹らなかった。
・近所の買い物帰りのおばさんが寄ったとき、家へのお土産だよね、って言って、その豆腐を横取りした。1回だけではないような記憶がある。
・行きたくないのに、逃げられないように母親の背中におんぶされて、連れて行かれた保育所。
・母親の帰りを待って、何度も遅くまで、兄と一緒に保育所にいたこと。雷が鳴ってこわかったこと。
・保育所のお昼寝の時間に、自分の枕を持って隣の部屋にいる兄の布団に通って、一緒に寝たことが有名だった。
・浴衣を着て庭で撮った写真の頭のところに、庭の赤い花が髪飾りのように写ってしまって女の子みたいって、写真を見るたびに言われるのが嫌だった。
・トトロではないけれど、部屋の中を飛ぶ小鳥の存在を知っていた。家族のほかの誰にも見えないらしかった。食器棚の裏に飛んでいくので、よく、その隙間の暗がりに目を凝らして見たけれどもとうとう見えなかった。
・雪の間から出ていたクロッカスの黄色い花びらで春を感じた。
・よく兄と遊んだ。いつも仲の良い兄弟だと言われたが、後になって、ずいぶん兄が私をいじめていたらしいことを知った。ずいぶんずいぶん後になってだけど。
・母親からオールドブラックジョーという曲や、文部省唱歌を聴かされた。今でも好きだし、よく聴く。
・保育所でお昼寝の時間に流れていた曲を追い求めて何十年。まだ見つからないけれど、ラベルやストラビンスキーが好きになった。
・近所の子と本家のおばあさんに「かみなりババー」って大声で言って怒らせたら追いかけてきて、部落中追い回された。当然、後で、母親が叱られた。
・父親の会社関係で貰う珍しい果物がおいしくって、パクパク食べた。40年もそのペースが崩れなきゃ、糖尿病にもならぁ。
・秋刀魚の時期には朝昼晩と秋刀魚、さばの時期には朝昼晩と毎日さば。新鮮でおいしかったけれど飽きた。早朝の道路には、魚が飛び跳ねて落ちていることがあった。トラックから落ちたもの。
・夕方父親の後をくっついて行ったら、遅くまで誰かと土間の暗いところで話しながら飲食をしていた。帰宅したら、私だけが母親にすごい剣幕で叱られた。でも、俺は悪くない。まだ小学校に入ったか、低学年ぐらいだった。
・兄の影響で、算数は得意だった。小学生1年生のときに、遊びにきた中学生から答えがマイナスになる計算の質問をされて、あっさり「マイナス・・・」と答えたら、中学生は何も言えなかった。分からないと思ったのだろう。勘だったけどね。
その中学生は、私と同じ名前で、よく、かわいがってもらった。
・小学1年生。ハーモニカが得意で、吹けたらリボンをもらえる。早々に胸はリボンだらけになった。
・小学1年生のとき、UFOを兄と見つけた。絵日記にした。未知との遭遇だった。
・2年生。九九の競争があった。5分で100問。2回目でクリア。高校卒業まで「数学だけは天才的」と言われた。確かに数学だけはね。今もね。
・兄が一緒に住んでいた中学2年生まで、私は親の後ろに隠れているような子だった。
・中学2年生のとき、初めて土星を見た。それをきっかけにアマチュア無線の資格を取得。本人の意識とは別に周囲の目が変わった。引っ込み思案の私が、急遽、人前に出されることになる。
どれもみな、懐かしい。
今思うのは、親の思惑に反して男の子として生まれてきたが、いろんな面で親の思惑には反していないのではないか、ということ。それが弱さでもあり、強さにもなっているんだけどね。
・その後、苦労するかもしれないものを背負って出てきたのだけれど、それに反発するかのように家族の希望に逆らって、男の子として生まれてきた。
・夜中に、トイレのそばの三畳の板の間をフラフラとトイレに行くでもなく、布団に戻るでもなく、泣きながらうろうろしていた記憶がある。
・あるときは、麻疹にかかった兄の布団のそばで、親の思惑があるとも知らずに遊ばされたが、親の思惑に反するかのように麻疹にも罹らなかった。
・近所の買い物帰りのおばさんが寄ったとき、家へのお土産だよね、って言って、その豆腐を横取りした。1回だけではないような記憶がある。
・行きたくないのに、逃げられないように母親の背中におんぶされて、連れて行かれた保育所。
・母親の帰りを待って、何度も遅くまで、兄と一緒に保育所にいたこと。雷が鳴ってこわかったこと。
・保育所のお昼寝の時間に、自分の枕を持って隣の部屋にいる兄の布団に通って、一緒に寝たことが有名だった。
・浴衣を着て庭で撮った写真の頭のところに、庭の赤い花が髪飾りのように写ってしまって女の子みたいって、写真を見るたびに言われるのが嫌だった。
・トトロではないけれど、部屋の中を飛ぶ小鳥の存在を知っていた。家族のほかの誰にも見えないらしかった。食器棚の裏に飛んでいくので、よく、その隙間の暗がりに目を凝らして見たけれどもとうとう見えなかった。
・雪の間から出ていたクロッカスの黄色い花びらで春を感じた。
・よく兄と遊んだ。いつも仲の良い兄弟だと言われたが、後になって、ずいぶん兄が私をいじめていたらしいことを知った。ずいぶんずいぶん後になってだけど。
・母親からオールドブラックジョーという曲や、文部省唱歌を聴かされた。今でも好きだし、よく聴く。
・保育所でお昼寝の時間に流れていた曲を追い求めて何十年。まだ見つからないけれど、ラベルやストラビンスキーが好きになった。
・近所の子と本家のおばあさんに「かみなりババー」って大声で言って怒らせたら追いかけてきて、部落中追い回された。当然、後で、母親が叱られた。
・父親の会社関係で貰う珍しい果物がおいしくって、パクパク食べた。40年もそのペースが崩れなきゃ、糖尿病にもならぁ。
・秋刀魚の時期には朝昼晩と秋刀魚、さばの時期には朝昼晩と毎日さば。新鮮でおいしかったけれど飽きた。早朝の道路には、魚が飛び跳ねて落ちていることがあった。トラックから落ちたもの。
・夕方父親の後をくっついて行ったら、遅くまで誰かと土間の暗いところで話しながら飲食をしていた。帰宅したら、私だけが母親にすごい剣幕で叱られた。でも、俺は悪くない。まだ小学校に入ったか、低学年ぐらいだった。
・兄の影響で、算数は得意だった。小学生1年生のときに、遊びにきた中学生から答えがマイナスになる計算の質問をされて、あっさり「マイナス・・・」と答えたら、中学生は何も言えなかった。分からないと思ったのだろう。勘だったけどね。
その中学生は、私と同じ名前で、よく、かわいがってもらった。
・小学1年生。ハーモニカが得意で、吹けたらリボンをもらえる。早々に胸はリボンだらけになった。
・小学1年生のとき、UFOを兄と見つけた。絵日記にした。未知との遭遇だった。
・2年生。九九の競争があった。5分で100問。2回目でクリア。高校卒業まで「数学だけは天才的」と言われた。確かに数学だけはね。今もね。
・兄が一緒に住んでいた中学2年生まで、私は親の後ろに隠れているような子だった。
・中学2年生のとき、初めて土星を見た。それをきっかけにアマチュア無線の資格を取得。本人の意識とは別に周囲の目が変わった。引っ込み思案の私が、急遽、人前に出されることになる。
どれもみな、懐かしい。
今思うのは、親の思惑に反して男の子として生まれてきたが、いろんな面で親の思惑には反していないのではないか、ということ。それが弱さでもあり、強さにもなっているんだけどね。
by ja1toep1 | 2009-02-11 21:35 | 日記 | Comments(6)